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あまりにもネガティブであることの功罪

ネガティブ 象徴的 イメージ

ごきげんよう、ゆーひーです。

物事に対する捉え方として、良い方向に・積極的に・肯定的に(あるいは楽観的に)考えることを「プラス思考」、悪い方向に・消極的に・否定的に(あるいは悲観的に)考える事を「マイナス思考」と呼びますよね?
もしくは、前者は「ポジティブ(シンキング)」、後者は「ネガティブ(シンキング)」と言われているでしょう。

今回は、両者の中で「ネガティブ」の方に焦点を当てた内容です。

皆さんの中にも、自分がネガティブだと思う方はいらっしゃるのではないでしょうか。

私もそうです。
何が起こっても大抵は(時にはまだ起きていない事に対しても)悪い方にばかり考えてしまって、いつも自分で自分の神経をすり減らしています。
そのネガティブぶりは、これまでネガティブに考える人をいくらでも見てきたであろう精神科医の主治医からも「あなたはネガティブ過ぎですね…」と度々言われるほどです(笑)

そんな自分のネガティブさについて、私が今まで感じてきたことや現時点で考え得ることについてあれこれと綴ってみました。
大変自省的な内容ですので、ご興味のある方だけお読みいただけたらと思います。

悪いパターンを予想し尽くして安心感を得る思考方法

記事のタイトルに功罪などと書いていて、果たしてネガティブであることに「功」なんてあるのか?と思われるでしょうが、「強いて言うなら…」という感じですかね。

私は何か物事に臨むに当たっては、できる限り悪いパターンを(内容も数も)予想し尽くすという考え方を常にしてきました。
より悪いパターンを予めいくつも想定しておけば、何が起きようとそれよりはマシな事態で済み、安心感を得られるからです。

このような考え方をするのがもはや完全に癖となっており、これまでもあらゆる場面でそれが見られました。

たとえば学生時代(大学)では、試験の手応えが自分としてはあまりにもなかったため「単位を軒並み落としているんじゃないのか?」と考えて、もうそれらの科目はだめだったのだと諦めてしまうことが何度もありました(まだ結果も出ていないのに)。
対人関係でも、(プライベートにしろ仕事関係にしろ)誰か親しい人物と連絡を取った際返事がなかなか来なかったことから、「何かまずい事を言ったんだろうか…?嫌われてしまったのなら仕方がない。この人との縁もこれで終わりだろう」などと、やはりまだ起きてもいない悪い事を勝手に想像して半ば決めつけることが数知れずありました。
あとは、以前の職場で同僚が普段よりそっけない感じだったので(以下略

しかし、実際のところは私の過剰な心配だった、という結果になることが大多数(と言うよりほぼ全部)でした。

試験の件では、軒並み単位を落とすどころかほとんどの科目が満点に近かったり、返事の件でも、相手が連絡に気付かなかった(あるいは連絡できない状況だった)とか端末の不具合だったとかでたまたま返事ができなかっただけだったり…
職場の同僚も、単に具合があまり良くなかったから、なんてこともありましたね…

このような事を繰り返していく内に、元々どうしても良い方に考えられない私は、予め悪い方にできる限り予想しておけばそれより悪い事態にはならないことに味をしめて、ますますそういう考え方をするようになっていきました。
通常なら、「悪い方に考えたってそうそうひどい事態にはならないんだな」と少しは前向きになりそうなものですけどね…

そんなスタンスでいることから、事に当たる時は可能な限りの準備を徹底するため、失敗らしい失敗をすることは随分と少なくなりました。
以降は、周囲からあれこれとお褒めいただくことも多くなりました(それ自体は身に余るありがたい事だと思っています)。
実際は、それら全ては私のネガティブ・不安から来るもので、良い結果に繋がってもそれはあくまで結果に過ぎないですけどね。

ミスが少なくなったり人のことを思い遣れるようになるというのがネガティブの良い点だと指摘する声もあるので、「功」があるとすれば結果的にそのあたりになってくるでしょうか。
私個人の場合で言えば、先述の「現実に起こった事が想定よりは悪くないものだった」という安心感を得られることでしょう。

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心に掛かる負担は並大抵ではない

もうお分かりとは思いますが、上記のような考え方を常にしていて精神的な負担が掛からないはずがありませんw

実際に起きることが予想よりは良い(マシな)事でも、それまでの間に余計に神経をすり減らしていることは疑いようもないです。
際限なく悪いパターンを予測して(時にはそれがもう起こってしまったとさえ考えて)自分を追い詰めているわけですから、心が摩耗していくのは当然ですよね…

こんな状態を長い間繰り返していては、(特段悪い事が実際には起きていなくても)精神的に限界をきたしてしまうのも必然の流れです。
そして現在私は精神疾患を患っているわけですが、こうなった背景に先述のような考え方の癖が影響している側面は確実にあるでしょう。

たちが悪いのは、それでもなお私がそういう考え方について「これでいいんだ」と思っていた節がある点です。
どうしても、「予想を超えた悪い事態になるくらいなら最初から最悪の想像をしておけば少しは安心だ」という思考回路からどこか抜け出せないのです。

こうしてわざわざ自分で分析して書いているくせに、実状を改めることはできていません。
我ながら本当に愚かだと思います。
ネガティブの良し悪しについては色々な意見があるかと存じますが、この現状を鑑みると私個人に関して言えば「罪」の方が大きいと言わざるを得ません。

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現実をありのままに捉えるように努めること

ただし、こうしてある程度自己を見つめて文章化できるようになったのは、ささやかな進歩だとも思っています。
今この瞬間は、以上のような物事の捉え方を今度こそ改めていこうという心持ちでいます。

もちろん、無理矢理「こんな自分を変えなければならない!」なんて焦った姿勢でいるつもりはありません。
それができなくて自分を追い詰めてしまうのなら、結局は自分で負担を抱え込んでいることになりますからね。

そして、同じく無理矢理プラス思考・ポジティブに考え方を持っていこうとも思いません。
思考の仕方はともかく、ネガティブな面があることは元来の性格に起因する部分もあるでしょうから、そこを闇雲に変えようとしても辛いだけです。
ただ、せめてまだ起きてもいない最悪な事を先走って考えて落ち込むような真似は、もうするまいと考えています。

重要なのは、「現に起こっている事をありのままに捉えて受け止めること」です。
私にはまるでそれができていませんでした。

病気の影響によるもの…とも言えるかもしれませんが、発症前からそのような面は多々ありましたし、本当にそうだったとしても(先述の考え方のままだと)何も変わらないのは同じです。

現実を過去からも未来からも何ら前提を置かずそのままの姿で捉えられるようになること。
それが、私のこれからの課題だと痛感しています。
あれこれと考えるのは、きっとその後で良いんですよね。

あらゆる事態を予測しつつ精神に負担をかけずに対応できる…なんてことができたら素晴らしいのですが、一生のうちにそれができるようになるかどうか(笑)
まぁそこまでできなくても構いませんが、心が少しでも軽くなることが今の私にとっては最も大切です。

ということで、よく聞く「ネガティブ」という面から自分について少しばかり長々と書かせてもらいました。
大変内省的なお話でしたが、ここまで読んでいただいた方にはせめて反面教師にでもしてもらえると幸いです。
お読みいただきありがとうございました。

願わくば、時が経って私がこれを読み返した頃「こんな時もあったな~」と気楽に振り返ることができますように。

それでは、今日はここまで。

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