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一人でいる時が一番孤独を感じなくて済んだ。

ごきげんよう、ゆーひーです。

子供の頃から私にはタイトルにあるような実感があり、今でもそう思っている節があります。

今回はこの「孤独」をキーワードに、思うところを雑多に綴っております。

私の考え…と言うよりは若干自分語りの色合いが強いと思われますので、話半分にでもお読みください。

そもそも孤独って?

中身に入る前に、改めて「孤独」の(単語としての意味に限定した)定義について確認しておきます。

ひとまず辞書には次のように書かれています。

【孤独】

(名・形動) 頼りになる人や心の通じあう人がなく、ひとりぼっちであること。さびしいこと。また、そのさま。
(名) 孤児と身寄りのない老人。寄るべなき身。

引用:『大辞林』松村明編(株式会社三省堂 1992年7月17日発行)

基本的には、の意味で使われていますよね。

「ひとりであり、寂しいこと」という概念を表すとともに、何かがそうである様も意味しています。

実際の状況においては誰もがその意味を理解・実感し、ごく自然に用いていることでしょう。

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一人でいる時の方が孤独を感じないのは何故か

ここから本題ですが、私が「一人でいる時の方が孤独を感じなくて済む」と考えていたのは何故なのか。

逆に言えば「誰かといる時の方が孤独を感じた」わけですが、こちらの点から見た方が分かりやすいかもしれませんね。

私は、子供の頃から常に孤独感を抱えていました。

子供と言っても、年齢が一桁の頃まではそのような事を考え込むことはあまりなかったので、ここで言う子供とは10代の頃を指しています。

そして、私が孤独感を覚えていたのは友人や知人等の「他人」との関係性においてのみでしたので、家族については当てはまりません。

10代と言えば、小(の後半)・中・高の学生時代が中心となる、いわゆる多感な時期ですよね。

この時期は誰もが色々と思い悩む事が多いでしょうが、それは置いといて…ともかく当時の私の胸中を多く占めていたものは、孤独感だったのです。

特に「誰かといる時」は最もそれが顕著でした。

たとえば友だち(と思っている人)と2人でいる時、(外から共同作業を課せられている場合等を除き)一緒に話したり、何かをしている場面です。

同じ時を共有しているのは確かなのですが、どうも相手が愉快な様子に見えないことが多くありました。

楽しそうな言動を見せることがあまりなく、「仕方なくお前と一緒にいるんだ」という空気を醸し出しているように思えました。

そのため、子供心にも「この人は確かにここにいるけど、気持ちは別の所にあるんだろうな…」などと考えていました。

3人以上でいる時はもっと辛かったです。

自分以外の人たちだけで盛り上がり、自分は除け者にされて蚊帳の外にいるような感覚をよく覚えていました。

奇数の人数でいる時に、このような状況になりやすかったです。

言わば「余りもの」ですね。

これが若干トラウマになっており、今でも奇数の人数で集まる時は少し怖いです。

このような事が重なって誰かといる時を素直に過ごせなくなっていった結果、ますます変なorつまらない奴だと思われるようになり、拒絶されるもしくは傷付くような言動を浴びせられる、といった悪循環に陥っていました。

もちろんそんな人ばかりではありませんでしたが、上記のように感じる場面の方がずっと多かったのは確かです。

これらの事から、誰かといる時に疎外感を覚えることによって相対的により強く孤独を感じていたと言えます。

そして、「誰かといてこんなに苦しいなら一人でいる方がよっぽどマシじゃないか」と考えるに至り、いつしか一人でいる時が最も気持ちが安らぐようになっていました。

このような事情から、「一人でいる時が一番孤独を感じなくて済む」という心持ちになっていったわけです。

「一人」ではない時こそが「独り」だったということですね。

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現在は何だかんだで程良い感じ

以上のような気持ちが以前までは大変強かったのですが、現在は幸いにもそれは大幅に軽減されています。

そうなったのは、まずは一緒にいても孤独を感じることがない人たちと出会えた、というのがとても大きいです。

今(自分の所属等を介さずに)親しい関係を続けられているのは、一緒にいる時間に心から没頭できると感じられる人たちばかりです。

成人前後になってそのような人たちと出会えたのは(個人的に)奇跡に近い幸運としか言いようがなく、その事実が先述のような私の考えを(良い意味で)大きく揺らがせてくれました。

私は(少なくとも当時は)多くの人に好かれるような性質の人間ではないですが、それでも、自分と気の合う人は必ずどこかにいるということを今は疑わずにいられます。

そういう人とこそ自然と関係・縁が続いていくのでしょうから、これからも自然体でいてかつそれらの繋がりを大切にしていきたいと思っています。

そして、孤独との付き合い方を変えたのも非常に重要です。

既に述べたように、孤独はかつての私にとって「相対的なもの」でしたが、今は「絶対的なもの」という面が大きくなっています。

今も複数人で過ごしている時に全く孤独を感じないわけではないですし、一方で一人でいても「寂しい」と思うことは当然あります。

つまりは、誰かといようが一人でいようが多かれ少なかれ孤独感は湧き出てくるものであり、「常に在り続けるもの」という実感を持つようになったのです。

その意味では何をどうしても孤独を拭い去ることはできないので、自分にとって「絶対的なもの」と捉えるようになったわけです。

「人間は皆孤独である」などとよく言われている通り、それを頭ではとっくに認識していましたが、実感を伴ってそう考えるようになったのは孤独に悩んでいた頃よりも後のことです。

そうやって孤独を絶対的なものとして受け入れられるようになって初めて、あの呪縛のような虚しさから幾らか解放されたような気がしています。

ついでに、今では孤独感が個人的活動の源泉の一つにもなっているので、全く無くなってしまうのはかえって困るとさえ思っています(笑)

これからも孤独感は自分の中に常在し続けていくでしょうが、何とか上手く付き合っていきたいものです。

…というわけで、「孤独」についての自分語りを交えたお話でした。

このような事をあれこれ考える歳でもないのですが、過去を振り返った上での取るに足らない徒然とお捉えください。

こうやって振り返った視点からまとめることができたのも、時間を経た今だからこそだと思いますしね。

現在でも折々の形で寂しさを感じるのは変わりません。

共感していただいたか俯瞰的に見られたかは分かりませんが、ここまでお読みいただきありがとうございます♪

それでは、今日はここまで。

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